“伴走者”としての国語教師
中教審答申(2021)は、令和の日本型学校教育で目指す姿として、「個別最適な学び」と「協働的な学び」を掲げています。この答申では、これらの学びの実現に向けて、教職員に対して次のような意識改革を求めています。
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教師が技術の発達や新たなニーズなど学校教育を取り巻く環境の変化を前向きに受け止め,教職生涯を通じて探究心を持ちつつ自律的かつ継続的に新しい知識・技能を学び続け,子供一人一人の学びを最大限に引き出す教師としての役割を果たしている。その際,子供の主体的な学びを支援する伴走者としての能力も備えている(下線は筆者)。
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ここに示される、「伴走」とはどのような立場に立つことなのでしょうか。教師は学習者の横に居並ぶ関係、つまり対象となる世界を子どもと一緒に見て、対話することに他ならないでしょう。
国語科における教師と学習者は、同じテキスト(文章・事象等)を共有し、それを読解・解釈する立場としては、本来的には対等な関係にあると考えます。ただ、教師は教室の中の最も有能な先行研究者として、学習者の学びの行く先を見通し、あるべき方向へ導き得る立場になければなりません。ゆえに教師は、テキストが保有する特性や価値、意味世界との対話(教材・事象の研究)を深めることは必須です。同時に学習者の過去の学習経験に配慮し、他の学習者との相互作用を促進することが必要です。さらに、教室の物的・人的学習環境の整備、協働性や支持性の醸成に意を用いることが大切です。こうした学びの文脈の中で、「伴走」する教師には適時適切な直接的な指導(教師の出)が重要な意味をもつことは自明です(図)。
教師は先導する立場に立つことに傾斜し過ぎず、かつ最後尾の学習者に同行するだけでもない、「伴走」という概念を再考したいものです。
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