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「個別最適な学び」を創る主体は誰か

「個別最適な学び」の実現には、教育を施す側が子供一人一人に学びの環境や状況を最適化して提供することが期待される。学校へ愛児を預ける保護者にとってはまさしく親の意を得たり、真正な教育の方向と歓迎することであろう。愛児を他者と比べるのでなく、よさを見いだし、それを個性として認め、可能性を最大限に引き出し伸ばしてほしいとする保護者の願いは普遍である。国民的アイドルグループSMAPのヒット曲のフレーズ、「ナンバーワンにならなくていい、元々特別なオンリーワン」の歌詞のとおり、かけがえない存在である子供一人一人の尊厳を再確認する重要性が示唆される。

一方、学校教育を担う教師らは、この「個別最適」というキャッチ―な言葉にどのような印象をもつだろうか。これは教育者として常に目指す方向であり、これまでも努めてきたし、これからも鋭意努めたい、といったニュアンスの声が多くを占めるのではないだろうか。他方、それは頭では分かっているが、余りにも理想かつ永遠の課題でもあるので、今以上の期待には十分応えられそうにない、といった消極的な声もあろう。学級の在籍数が多い場合は至極困難なことであり、外国人や発達障害、不登校の子供の増加に対してもっとマンパワーの援助体制の整備が優先されるべきはないか、という声も少なくないだろう。「個別最適な学び」の実現には、国や地方の教育行政の在り方を含めた学校の働き方改革の推進、特に業務の引き算は喫緊の課題である。学校教育は、足し算だけの改善では疲弊してしまう。

答申では、この「個別最適な学び」に何をどこまで求めているのであろうか。とりわけ、それが叫ばれる背景に注目することにより、これまでの取組の検証につなげ、更に今後において発展させるべき方向を整理したい。

背景の一つには、「みんな同じがいい」からの脱却がある。社会の多様化が進む中、学校は画一的・同調的な文化から脱却できていない側面があるという。学校では「みんなで同じことを、同じように」を過度に要求する面が見られ、学校生活において同調圧力を感じる子供が増えていったと指摘している。教育村や学校村という言葉で揶揄されるように、新しい時代の潮流に学校教育が追いついていない現実を直視する必要があろう。Society5.0(目指すべき未来社会としてテクノジーを活用した社会の仕組みを構築しようとすること)を見据えた社会は、「マーケットイン」という発想で動いている。「マーケットイン」とは、クライアントのニーズや需要を考慮して商品を作り出し、サービスを展開することである。この発想を踏まえると、日々の学級・授業・学校づくりは真に子供一人一人の視座に立って展開されているか否かを子供側からの評価を加えて再点検する必要がある。

背景のもう一つには、GIGAスクール構想に基づく一人一台端末の活用の促進がある。日本社会のDX(デジタルトランスフォーメーション:進化したデジタル技術を浸透させることで人々の生活をより良いものへと変革すること)が世界から遅れをとる中、全国の学校にICT環境の整備が急速に進んでいる。教育のデジタル化に伴い、タブレットを操作する姿は、まさしく学びが個別化されているイメージである。Society5.0と呼ばれる超スマート社会において、IoT (Internet of Things – モノのインターネット) という言葉が示すとおり、世界中の知識はインターネットを検索すれば容易に収集できる時代である。もはや教科書だけでは子供が獲得する情報は不足してしまう。教科書の知識注入に偏重した授業は、多様な興味や関心を抱く子供一人一人に対する「個別最適な学び」の実現にはほど遠い。ICT環境の整備は、学習指導や支援に無限の可能性が広がる。教師にとっては校務の効率化への貢献という利点も大きい。

こうした背景を読み解くと、「個別最適な学び」の実現にはICTの積極的な活用を図り、子供たちを一律に横並びに指導するのではなく、個性の花開く教育の創造が求められていることが分かる。一方で、令和の日本型教育は決してデジタル一色を標榜しているわけではない。今後、子供たちの学習履歴(スタディ・ログ)などのビッグデータを活用した学びの個別化が一層拡大していく。学校教育の様々な場面で「あなたの最適コースはA」「あなたはまずBからクリアすべし」とデータ解析の結果レコメンドが優先されるようになるであろう。そのとき、それが真に「最適」であるのか、主体性や自律を育むことになるのかを問い続けることが重要である。これに関連して平成28年の中教審答申(以下、H28答申)には次の記述がある。

人工知能がいかに進化しようとも、それが行っているのは与えられた目的の中での処理である。一方で人間は、完成を豊かに働かせながら、どのような未来を創っていくのかを、どのような社会や人生をよりよいものにしていくかという目的を自ら考え出すことができる。

人間は、思考錯誤と経験の積み上げによって自己を確立していく。心身共に大きく成長する子供時代の学びを最適化するためのデータの活用は重要である。ただそれは、一部であって全てではない。主観が第一義、アナログを重視と述べているのではない。学校教育内外の様々な調査結果に基づくエビデンスをベースにし、子供たちは教員の指導を真摯に仰ぎ、信頼を寄せる身近な家族や多様な価値観をもつ他者からの助言を参考にしつつ、自分の過去の体験や読書経験などを通した知見を活かし、最終的には自分が出す決定を重視すべきではないか。子供が自分なりの納得解や最適解を探しながら思考し行動し続ける、自律の精神を置き去りにしてはいけない。教師は「個別最適な学び」を子供自身が創り出せるように発達段階に即して指導し支援し続ける役割を担う。子供が自身のよさや可能性を認識していく過程に、教師が適切に関わっていく中で最適な状況が動的に創られていく。

「個別最適な学び」は、「指導の個別化」と「学習の個性化」を学習者の視点から整理した概念として示している。「指導の個別化」は、多様な子供の課題に応じた指導方法・教材等を工夫して一定の目標の達成を図るという側面をもつ。一方、「学習の個性化」には、個々の興味や関心等の違いを踏まえると、設定しようとする目標に一定の幅が生じる場合が想定される。幅の検討には、学習指導要領が規定する各教科等の資質・能力をどのように解釈し、どのようなレベルまで押し上げるかが問われる。生き方や在り方に関わっては異なる目標や複数解が許容され、幅が広がる。「個別最適な学び」は、各教科等の特性や単元・題材のまとまりに応じて柔軟に発想できよう。

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